山花郁夫 やまはないくお 元衆議院議員●選挙区 東京22区:調布・三鷹・狛江・稲城

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2017年1月19日

論・憲法~立憲主義を守るために 第11回

第11回  集団的自衛権の行使

前回、内閣法制局が「戦力に至らない自衛力」という概念を「発見」した、ということは説明しました。この考え方からすると、戦力と自衛力の違いは、装備の重さ、ということではなく、どんな行動をとるかにかかってくる、ということになるはずです。言い換えると、制約的に個別的自衛権の行使が認められる、ということです。

 

個別的自衛権というのは、我が国が攻撃されているときに対処するものであるのに対して、集団的自衛権というのは、我が国が攻撃されていないにもかかわらず、密接な関係がある国が攻撃されたとき、「我が国に対する攻撃である」とみなして一緒に戦う、というものです。

 

東西冷戦構造の時代を思い浮かべて頂ければ分かりやすいかもとれません。旧共産圏と資本主義圏の国がにらみ合っていて、ワルシャワ条約機構と北大西洋条約機構(NATO)が、対立していた時のことです。どちらかのどこかの国が他方のどこかの国にちょっかいを出したらどんなことになるか、今考えてもちょっと怖い話ですね。

 

ところで、これまで長らく、日本の内閣法制局は専守防衛だと言ってきたわけで、安倍内閣の下での集団的自衛権を巡る閣議決定は論理的にびっくりなものでした。どうしてびっくりなのかは、学説をベースにすると異種格闘技になってしまって分かりにくいので、従来の政府見解を理解してくださいね、という意味をご理解いただきたく、昭和47年10月14日に参議院の決算委員会に出された政府答弁書を見て頂きたいと思います。

 

「憲法は、第9条において、同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているが、前文において「全世界の国民……平和のうちに生存する権利を有する」

ことを確認し、また、第13条において

「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、……国政の上で、最大の尊重を必要とする」

旨定めていることからも、わが国が自らの存立を全うし国民が平和のうちに生存することまでも放棄していないことは明らかであって、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとはとうてい解されない。しかしながら、だからといって、平和主義をその基本原則とする憲法が、右にいう自衛のための措置を無制限に認めているとは解されないのであって、それは、あくまで外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るための止むを得ない措置としてはじめて容認されるものであるから、その措置は、右の事態を排除するためにとられる必要最小限度の範囲にとどまるべきものである。そうだとすれば、わが憲法の下で武力行使を行うことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのであって、したがって、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない」

 

これがいわゆる確立した「政府見解」と呼ばれるものです。前半はいささか回りくどいようですが、前回までお読みいただいていれば読み解くことはできるのではないでしょうか。そのうえで、「この論理だったら集団的自衛権はないよな~」ということになるでしょ?

にもかかわらず、安倍内閣の下で、現行憲法を改正しなくても集団的自衛権の行使が可能である、という閣議決定が行われました。「はぁ~?」という思い、共感していただけますでしょうか。

ちなみに、私の力ではどうしてそんなことができるのか、論理的に説明することはムリです。あしからず。

 



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