論・憲法 〜立憲主義を守るために 第5回

第5回 「納税の義務」について

自民党のQ&Aの説明は、憲法の規定の歴史的沿革を無視しているように思えてなりません。
たしかに、フランス人権宣言にも、納税の義務は規定されていました。しかし、その内容は、租税がすべての市民の間で能力に応じて平等に割り当てられるべきこと、租税については、市民が自身でまたはその代表者によりその必要性を確認する権利があることにアクセントが置かれていたのであって(フランス人権宣言13条・14条)、アンシャンレジーム(旧体制)の下での恣意的な重税に苦しんでいたフランス人民が、納税の義務を望んで規定したわけではありません。

日本国憲法30条も、「国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ。」としているのであって、法律の根拠なくして税負担は負わないのだ(租税法律主義の規定)、と読むべき条文です。

課税する権力者側に対しては、「あらたに租税を課し、又は現行の租税を変更するには、法律又は法律の定める条件によることを必要とする」と、念押ししています(憲法84条)。

アメリカがイギリスから独立を勝ち取るときも、「代表なければ課税なし」、「法律なければ課税なし」を標語にしていたはずです。「課税」という言葉があるからといって、アメリカはイギリスに対して課税されることを望んでいた、と考える人はいないはずです。歴史の教科書に「アメリカはイギリスとの独立戦争に勝利し、課税されることを勝ち取った」と記述する歴史家がいたら、「この人はアメリカ独立戦争という事実をどのように解釈しているのだろう?」ということになるはずです。

憲法30条に「義務」という言葉が記述されているからと言って、肝心な部分を読み飛ばし、国民の義務に関する規定であると解釈するのはいかがなものでしょうか?

このように、憲法に「義務」と書かれている規定があったとして、単にそれを字面だけで拾い上げるべきではないのです。それぞれに、(子どもの)教育を受ける権利や、生存権、さらには租税法律主義を勝ち取ることとセットになっています。

そもそも、憲法の専門書などでは、「三大義務」みたいな議論はしないんですよね。受験のクイズみたいな教え方を学校でするから、勘違いの源になっているような気がしてなりません。

あらためて申し上げます。自民党憲法改正草案にあるような、家族に助け合いの義務を課したとして、何か国民の側で勝ち取れているものってあるんでしょうか?

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