論・憲法~立憲主義を守るために 第8回
第8回 表現の自由の優越的地位の理論
さて、この表現の自由、憲法の学説の上では人権の中でも特に重要なものだとされています。
たとえば、経済的自由を規制する、行き過ぎた法律を作ってしまったとします。それでも、表現の自由が確保されていれば、それは言論活動の中で是正することができる可能性は保証されています。場合によっては政府が誤りを認めて法律を作り直すかもしれませんし、議員立法で修正する、あるいは国民の側で選挙で政権を交代させて法律を直させるなど、いろいろな可能性が残されています。
しかし、表現の自由の規制に行き過ぎがあったらどうでしょう。それを是正する手段が失われてしまいます。壊れやすく、そして一度壊れると元に戻らない、それが表現の自由だというわけです。
たからこそ、表現の自由を規制する法律は他の人権を規制する法律より慎重でなければならないはずである、学説の中には、表現の自由を規制する法律が裁判で争われた時には、裁判所は違憲であると推定して審理をすべきだ、というものまであります。
自民党の憲法改正草案では、「前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない」という規定を21条の2項に新設しようとしています。現行憲法ではこのような条件なく認められているにもかかわらず。
自民党のQ&Aでは、「……公益や公の秩序を害することを目的とした」という表現を用いて、表現の自由を制限できる範囲を厳しく限定しているところです」としています。
もともと、こうした制限というか、留保なく保障されていた人権に、このような条項が付加された場合、どんな説明をしようと、「表現の自由も一定の場合には規制しやすくなった」という印象を持つことは否めないのではないでしょうか。
百歩譲って、「公の秩序を害する」のはダメよ、というのはありうるかもしれません。やや表現に幅があることは否めませんが、他の人権と衝突した場合の調整などが予想されますし、比較的内容としても限定的だという主張は全く無理とまでは言いません。しかし、「公益」って概念、相当に抽象的で、不明確さは否めないのではないでしょうか。その「公益」だれが判断するのでしょうか。
これもQ&Aによると、「……この規定に伴って、どのような活動や結社が制限されるかについては、具体的な法律によって規定されるのであって……」。
「公益」に反するかどうかは時の政権が判断するらしい……これって恐ろしくないですか?