論・憲法~立憲主義を守るために 第10回

第10回 戦争の放棄(2)

戦争は放棄しているとしても、日本に実力行使がされた場合、どうやってこれを排除するのか、ということについては憲法制定時から議論があったところです。

当時の憲法の解説書でも、軍隊は持たないが、警察力などをもって対処するのだ、ということが書かれています。お巡りさんを想像すると、何か、心もとない気もしますが、海上保安庁くらいのものを想像していただければよいのではないでしょうか?

しかし、憲法制定後、世界は冷戦さらには熱い戦争、もう目の前では朝鮮戦争という方向で、当時日本が理想とした世界とは違う形で動いていきました。そういう中で、不測の事態に備えるには、警察力では不十分だと考えた時の政府が、警察予備隊、保安隊、自衛隊を創設していったわけです。

 

しかし一方で、陸海空その他の軍隊を持たないとする9条があります。従来は、治安の維持を担うのが警察力、外敵からの防衛が「戦力」であり、警察力を超えると戦力にあたる、というのが一般的な考え方でした。現在でも、憲法学者の多くはそのように考えています。

警察予備隊の頃は、それでも「警察力である」と言い張ることもできたかもしれませんが、だんだんと装備が重厚になるに従い、論理的には無理が出てくることになります。

そこで内閣法制局が「発見」したのが憲法前文や13条です。

どうして前文や13条を用いると自衛隊の存在が合憲という論理を導けるのでしょうか?

 

憲法は、9条もあるけれども、他方、前文で日本国民の平和的生存権、13条で国民の生命、自由及び幸福追求権を規定しているのであって、外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるという不測の事態がある場合、これらを守ることも憲法上の国の責務である(むしろ国民を見殺しにすることのほうが前文や13条の国の責務を果たしていないことになり、そっちの方が憲法違反じゃないか、みたいな話です)。

したがって、治安の維持という目的の警察力は超えるが、戦力に至らない、「自衛力」=自衛のための必要最小限度の実力は保有しうるのだ、したがって、自衛隊はこの範囲にとどまる限り、違憲の存在ではない、これが内閣法制局の編み出した論理です。

 

これまで、日本の安全保障政策は、「専守防衛」である、と説明されてきました。あくまでも、急迫、不正の事態に対して、防御的に実力行使するのであって、相手国まで攻め入って降伏させる、などということはしない(したら憲法違反)ということです。

このような考え方については、学説上あまり支持はされていません。しかし、政府の考え方としては戦後長きにわたり、確立したものでした。だからこそ、「集団的自衛権」の話はおかしいじゃないか、となるわけですが、このことはまた次回。

 

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