論・憲法~立憲主義を守るために 第3回
第3回 憲法は最高法規だということ
ところで、憲法とはどのような性質を持つルールなのでしょうか。
憲法98条1項には、
「この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない」
と規定されています。憲法は「最高法規」なのです。
もし、人を罰する法律がつくられたとしても、その法律が憲法に違反する、ということになれば、「その効力を有しない」ことになります。立法権を規定しているとして先に紹介した憲法41条には、「国会は、国権の最高機関であって……」とも書かれています。
憲法は、「国権の最高機関」が制定したルール=法律ですら効力を失わせることができる力を持っているのです。
法律ですら無効とされるのですから、内閣が定める命令や、条文には出てきませんが、地方自治体が定める条例なども憲法に反することができないのは当然です。でも、民主主義のルールに従って定められたはずの規範をも無効とする力を持っているのでしょうか?
このことは、「憲法」というものがどのような形で歴史的に登場したかを理解すると、分かりやすいと思います。
憲法の世紀と言われる18世紀。1776年、アメリカのヴァージニア憲法、1791年、フランス憲法(この憲法は、1789年8月に採択されたフランス人権宣言を冒頭に置いている)など、各国で憲法がつくられていきます。
アメリカの場合はイギリスからの独立ですが、ヨーロッパの場合には、専制君主を打ち破り、市民国家を誕生させた際に「憲法」が採択されていきました。
専制君主の時代には、法律のようなものがあったとしても、恣意的に適用されたり、あるいは今でいうところの法律の根拠に基づかない政治が当然でした。
権力も明確に分割されていませんでしたので、自ら法を作り、それを執行し、裁判も行えるとしたら、まさに絶対権力というにふさわしいということになるでしょう。
もちろん、逆に、すべての権力を手にしているわけですから、いい政治を行おう、裁判も寛容に、という君主がいれば人々は「名君」としてあがめたでしょう。
余談ですが日本でも、大岡越前守は名奉行として数々の逸話を残しています(もっとも、左甚五郎伝説のように、どこまでホントか分からないそうですが……)。
「大岡裁き」はスカッとしますが、見方を変えれば、自分でお触れを出し(立法)、町役人などにもそれを徹底させ(行政)、自分で裁いている(司法)のですから、権力構造は専制君主とのちがいはありません。
でも、なぜこれほどまでに多くの人を引き付け、ほんとかどうかわからないような逸話がたくさん残っているのかと言えば、そんなお奉行様はめったにいなくって、庶民の願望がつくった偶像だからなのではないでしょうか。
めったにいない人を常に待ち望むわけにはいきません。専制君主の時代から学んだことは、権力を集中させると危険だということです。そして、権力は必ず過ちを犯すということでした。だから、1791年のフランス憲法は、「権利の保障が確保されず、権力の分立が規定されていないすべての社会は、憲法(Constitution)を持つものでない」と高らかに謳い上げたのです。
専制君主が持っていた権力を分立させ、立法権と司法権は行政権とは別の機関が担うこととする。そして、相互に抑制と均衡を図るということは、ロックやモンテスキューの思想なども背景となっています。
そして、権力の分立ができても、権力は過ちを犯すことがある、だから、それぞれの権力は、人民が制定した「憲法」の枠組みの中でのみその権力行使ができるのだ、というのが当時の立憲主義の考え方です。
憲法の枠組みの中でしか、「国権の最高機関」である国会も、立法を行うことができないのですから、憲法違反の内容の法律を作ってしまったら、たとえ民主主義のプロセスに合致していたとしても、無効とされることになるわけです。