衆議院議員・山花郁夫は2017年の立憲民主党(旧)結党以来、憲法に対する党の考え方の軸を定め、国会では憲法改正を阻止する最前線で戦ってきた。そんな山花がコロナ禍で感じるのは、憲法改正のときと同じ、政府対応の「行き当たりばったり」「軸のなさ」。コロナ禍では多くの人が仕事を失うなど、生存権さえも脅かされているのに、十分なサポートはいまだに整っておらず、国民の人権を守るためにある憲法が、ないがしろにされていると感じている。これまでの国会活動と、いま改めて日本国憲法に立ち返る意味について、山花に聞いた。

「まず、憲法改正の立場、改正の軸をはっきりさせた」 たった55議席からのスタート

―― 山花さんは、衆議院では、憲法や関連法案を審査する「憲法審査会」の野党筆頭理事、立憲民主党では、憲法について議論にする「憲法調査会」の会長を務めています。立憲民主党が結党してから、これまでどのような活動をしてきましたか?

やっぱり、理不尽な憲法改正の阻止ですね。立憲民主党が結党して以来、ずっと憲法調査会長をつとめているので。10年くらい前から、与党は盛んに憲法改正を叫んできました。最初は2012年の第二次安倍内閣のとき、憲法改正手続きの96条を改正すると。いまの規定では、衆参の両議員それぞれ2/3以上の決議と国民投票の過半数以上の賛成が必要で、これが重すぎるので改正しますということだったのですが、世論の反感を買い、一旦フェードアウトしていきました。でも、憲法改正の危機は依然としてありました。

2017年の総選挙後には、与党が今度は「改憲4項目」なるものを出してきた。憲法9条に自衛隊の存在を明記するだったり、憲法73条に有事の際には政府が大きい権限を持てるよう緊急事態条項を新設するなど、内容はバラバラ。最初は96条を改正すると言っていたのに、それがダメになったら今度は4項目を改正すると言ってみたり、改正の軸、そしてなぜ変える必要があるのかという事実「立法事実」が非常に弱かった。とにかく改正したい、業績にしたいという感があったのです。そんななか、もう手探りで、なんとかして改正を阻止しようと、いろいろ模索してきました。

―― とても苦しい状況のなかでの結党で、当時はどんなことを考えていましたか?

率直に言って、不安でした。2017年の立憲民主党結党直後の総選挙の結果は、野党のなかでは最多議席数は獲得できましたが、衆議院465議席中55議席しかなかった。圧倒的少数の中で、この意味不明な改正発議を止めることはできるんだろうかと、確信が持てませんでした。2017年の総選挙が終わった時点で、結局憲法改正の発議もなく、今日を迎えているって、あの時点で想像してた人は少なかったんじゃないのかな。

―― でも、今日まで改正が発議されることはありませんでした。この4年間を振り返ってみて、改正を阻止できた要因はなんだと思いますか?

立憲民主党は新しい政党だったので、まずは憲法改正に対する立場をはっきりさせる必要がありました。当時、枝野代表も憲法改正に断固反対というわけではなく、良く改正するなら賛成、悪く改正するなら反対、という言い方してたんです。ただ、何をもってして改正の良し悪しを判断するのかがよくわからなかった。そこで党内で議論をして、「立憲主義」を党の軸にしようと。そして「人権」を最大限保障する、あるいは権力行使に対してより抑制をする仕方での改憲であれば賛成すると、そうでなければ反対すると、そういう基準をいち早く設定しました。

与党は96条を改正したいと、次に一貫性のない4項目を改正したいと言ったり、改正の軸がなかった。対して、立憲民主党は改正の軸として「人権」を明確に掲げ、与党と明確に差別化することができました。もちろん、国会対策委員長(当時)の辻元清美衆議院議員と常に連携し、与党がなりふり構わず改正の議論をさせとようとしてきたのを、おかしいものはおかしいと突き返してきたのですが、こちらにきちんと考え方の軸があり、まとまっていたのは大きいかなと思います。

「肉を切らせて骨を絶つ」 国民投票法改正案をめぐる政治判断

―― 先の国会では国民投票法改正案が成立しました。どうして議論が紛糾していたのでしょうか?

一つ大きな問題として、憲法改正の国民投票期間中に流すCM規制があります。この問題について、わたしは2015年の大阪都構想、つまり大阪市を廃止して一元化する是非を問う住民投票のときに問題意識を深めました。都構想を推進していた橋下徹元市長の大阪維新の会には、ふんだんな資金力があり、およそ5億円を投じて、市民を都構想賛成に誘導するCMをどんどん流していました。※1 資金力の差が結果に大きな影響を及ぼすことは公正ではありません。民主主義はプロセスも大事なので、公正なプロセスを揺るがすCM問題は看過できません。

※1 迫る投票日、広報戦過熱 両派はCMで対決 | 日本経済新聞

―― CM規制の問題もあるなか、先の国会で立憲民主党は国民投票法改正案に賛成しました。どういう経緯で賛成に至ったのでしょうか?

ある法律の一部分に問題はあるけど、そこさえなんとかなれば他は問題ない、というときは修正案を出して、それが通れば賛成するというケースは、国会では多々あります。今回の国民投票法改正案も同じで、立憲民主党としては基本的に賛成なんだけど、CM規制に関しては「付則」を加えた修正案を提出して、3年間の間で議論しましょうね、としたんです。

もし修正案も出さなかったら、与党が痺れをきらして結局数の力で押し切って採決し、無傷で通ってしまう。そうなると、次の国会で野党からCM規制の議論をしようと言っても、うやむやにされて、憲法改正の発議がなされるかもしれない。こうした事態は絶対に防がなければいけなかったので、ある意味「肉を切らせて骨を断つ」というか、そういった政治判断がありました。

―― その「肉を切らせて骨を絶つ」政治判断によって、どのような成果が得られましたか?

やっぱり、むちゃな発議をさせなかった、というところでしょう。あと、これは骨を絶ったというわけではないんですが、今回の国民投票法改正案についても、議会制民主主義の伝統に則った仕方で、すなわち、与野党で妥協点を探って、与野党合意の上でやったという実績は非常に大きい。これまでも憲法に関しては与野党の合意のもとずっとやってきた。先々見たときに、与野党の信頼関係を維持するという意味でもよかったと思います。

「政府のコロナ対策は場当たり的」 改めて立憲主義に立ち返る

―― 新型コロナウイルスが感染拡大するなかで、自民党の一部からは「緊急事態条項を進めるチャンスだ」、「改憲のチャンスだ」といった声が上がっています。率直にどう思いますか?

完全に悪ノリですよね。だいたい緊急事態宣言を発出しているにもかかわらず、国会の会期の150日経ったんで通常国会おしまいですって言ってる人たちが、やれ緊急事態条項だ、改憲だなんて、おかしい話。本来であれば、延長でもして、何かあったらちゃんと国会で対応できるような体制をとっておくべきでしょう。それなのに国会を開かないのも不誠実だし、もうなにをおっしゃってるんですかって感じです。

―― このコロナ禍の状況を見ていて、憲法の観点からどんなことが言えるでしょうか。

コロナ禍の影響が長期化するなかで、女性や若者の失業者数は跳ね上がり、とくに非正規雇用の方は、十分な補償もなく、生活がどんどんキツくなっています。昨年からずっと危機的な状況で、憲法が保障する「生存権」や「個人の尊厳」が脅かされている。にもかかわらず、政府のコロナ対策は場当たり的というか、原理・原則がない。憲法に則って政治をする「立憲主義」の本来の役割を果たすことができていないという印象です。

―― 立憲主義の本来の役割とは?

立憲主義は、そのこと自体に価値があるんじゃなくて、重要なのは人権を保障すること。このコロナ禍で本当に食っていけない、生きていけない人たちが増えているなかで、立憲主義の本来の役割って、その人たちの命をなんとか守って、せめて最低限の暮らしと尊厳を保障することだと思います。

そもそも戦後の憲法は、個人の尊厳のために国家が存在するという考え方ですが、政府は「まずは自助」だと、まったく逆の考え方をしている。もはや自助ではどうしようもない状況なのは火を見るよりも明らかで、国の責任を放棄して、それでも自助を強調することは、やっぱりおかしいと思う。

―― 今後のコロナ対策は、どうあるべきでしょうか?

憲法で保障されている「生存権」、そして「個人の尊厳」を徹底して確保していくこと、これに尽きると思います。そのためには、生活保護をもっと使いやすくすることも、やっていかないといけません。世の中的には不正受給があるじゃないかみたいな話もあるかもしれないけど、不正受給の割合なんて極めて低いわけで。政府の対応が立憲主義という原理・原則のもとにあれば、オリンピックを開催するにしても、今とは違う仕方だったろうし、不十分な補償のもとでの休業要請という結果にはならなかったはずです。

「公」を強化しないと「本当に国民の命を守れなくなるかもしれない」

―― これまでお話いただいた命や個人の尊厳は、このコロナ禍でどうやって保障できるでしょうか?

まず、「公」を強化しないといけないと思います。小泉改革に象徴されるけど、公務員は少なければ少ないほど良いとか、民間でできることは民間へという今の流れは、明らかに行きすぎていている。市役所や区役所の仕事の多くは民間でもできるかもしれませんが、「公」は民間とは異なり、いざというときに十分な働きができるよう、余裕をもった体制をつくっておかなくてはいけない。

そもそも、日本は2015年時点でOECD諸国のなかで最も人口比で公務員数が少ない国で、にもかかわらず公務員の雇い止め、非正規雇用によるスリム化が止まらない。※2 今回のコロナ禍で行政はパンクして、保健所だって、平時なら職員も少なく、非正規職員で十分かもしれないけど、PCR検査はとてもじゃないけど対応できない、となっている。

※2 公務員は多いのか少ないのか、その実情を国際比較でさぐる | Yahoo!ニュース

―― 非正規雇用の増加に伴い、行政の体力がかなり削ぎ落とされているという印象があります。

近年、大きな自然災害が多発しています。自治体で避難勧告が出て、避難所が設置されても、正規と非正規で職員に職権の差があり、非正規職員では対処できない事案が生じ、対応が遅れたといった事例が至るところあります。このまま「公」の非正規化が進むと、本当に国民の命を守れなくなるかもしれないという危惧があります。

民間においても、エッセンシャルワーカーの方々、介護、保育、物流、あるいはスーパーのレジで、感染危機にさらされながらも働くパートの方が休業支援金受けられなかったり、非正規雇用者が脆弱な立場に置かれていることが露わになりました。社会全体で正規雇用を増やしたり、「公」の力をもっと強化しないといけない、とコロナは教訓を与えているとも思います。

―― 危機にある今、改めて日本国憲法にわたしたちが立ち返る意味はどこにありますか。

憲法というのは、わたしたちの尊厳、権利を守る、とても近いところにあるものです。憲法が保障している権利を意識することで、困ったときに声を上げやすくなるはずです。だからこそ、政府は国民に自助を強いるような発信はやめるべきだし、わたし自身は憲法にのっとった政治がきちんと行われているか、国民の声を届け、発信していきたいと思います。

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