最低投票率をめぐって

はじめに

憲法改正国民投票法には最低投票率の定めがない、したがって欠陥があるのだ、という意見があります。

せっかく、憲法の改正には衆議院議員の2/3以上かつ参議院議員の2/3以上の特別多数決に加えて国民投票で過半数を得なければ改正ができないように歯止めをかけているのに、投票率があまりに低いと、国民全体から見ればごく少数の人で改正ができてしまうのはおかしいのではないか、という意見です。

たとえば、投票率が4割程度だとすると、その過半数ですから、国民全体から見たら2割ちょっとの人で改正が実現する、そんなことでいいの?というわけです。

この考え方からすると、法律で、たとえば5割以上の投票率でなければ国民投票自体が不成立とすることが必要だということになります。
なんとなくもっとものようですし、実は結構法律家の間でも支持されている考え方です。

しかし、よくよく考えてみると、問題はそう単純な話ではないように思われます。

シェイエス

「三権分立」「権力分立」といっても、どのような形で分立させるか、という答えは1つではありません。大統領制の国もあれば、議院内閣制の国もあれば、大統領と首相の両方がいる、という国もあります。そして、イギリスのような例外を除き、その形態は(成文)憲法で決まっています。
このことは、大統領とか、首相とか、国会、裁判所というのは、「憲法によってつくられた権力」である、ということを意味します。

「じゃあ、だれがその憲法を作ったの?」というという問いに対して、法的に翻訳した答えが「憲法を制定する権力」であるという答えになります。
日本の場合、国会が法律を制定できるのは、憲法によって立法権が国会につくられたからで、その憲法をつくったのは国民である、ということになります。

ちなみに、「憲法を制定する権力」と「憲法によってつくられた権力」という区別をしたのは、フランスのアベ・シェイエスという人です。アベというのは名前ではなくて僧侶という意味で、聖職者出身だからそのように呼ばれたのとのことです。カタカナでアベと表記すると何か引っかかる気がするので、シェイエスにしておきましょう。
シェイエスは、フランス革命の口火を切った三部会の第三身分代表、「第三身分とは何か」という著作でアンシャンレジーム(旧体制)を批判した人、と世界史で学んだ人もいるのではないでしょうか。

憲法制定権力

「憲法を制定する権力」というと長いので、「憲法制定権力」「制憲権」などと略されますが、ここからは「憲法制定権力」という用語に従います。
この、「憲法制定権力」というのは、もしかしたら歴史が好きな人には嘘っぽく感じるかもしれません。というのも、憲法が作られる時というのは、多くの場合権力の変動を伴います。

しかも、暴力的、というと言葉が過ぎるかもしれませんが、少なくとも実力で奪い取られるケースがほとんどです。日本の大政奉還のような穏やかに権力が移譲するケースというのはきわめて稀だといえます。実際、憲法が作られたのは、フランスでは革命後、アメリカでは独立後、アフリカ諸国でも宗主国からの独立後ですし、世界にはクーデター後ということもめずらしくありません。

このような混乱期に、じっくりと学者が構想を練って、国民が議論して、憲法を採択する、などということは想像することのほうが難しいでしょう。一応議会などで議論をするとしても、その起草(たたき台)は一部の人によって「えいやぁ」でつくられた、というのが本当のところではないでしょうか。
しかし、ここで問題としているのは歴史的事実ではなく、フィクションと言われようと、法的・論理的に「どう考えるべきか」ということです。日本国憲法も前文で「ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」と謳っていますが、まさに主権者たる国民が日本国憲法をつくったのだ、という考え方に立っているわけです。

制度化された憲法制定権力

さて、国会や内閣や裁判所という権力を「作った」絶大な力を持つ憲法制定権力は、憲法ができた後はどうなってしまうのでしょうか。

国民は選挙を通じて国会議員を選び、その中から内閣総理大臣が選ばれます。政権が気に入らなければ選挙で交代させることもできます。最高裁の裁判官についても国民審査で罷免することができます。

それはそれで大変な力ではありますが、しょせん「憲法によってつくられた権力」を左右しているにすぎません。

これに対して、日本国憲法の下では、憲法改正の際に国民投票の形で国民が登場します。この国民投票は、革命やクーデターの後に新憲法を丸ごと作るようなむき出しの実力行使ではなく、現在通用している憲法のルールにのっとって行使される「憲法を制定する権力」の発動と考えられます。

憲法の教科書には、「憲法改正権の本質は制度化された憲法制定権力である」という趣旨のことが書かれていますが、おおむねこのようなことを指しています。

改めて最低投票率制度について

憲法改正の際に国民投票を行う、というのは、憲法というフィルターを通すと、実になかなかたいそうな行為です。つまり、かつて国会や内閣をつくった「憲法制定権力」が法的ルールにのっとって発動する、ということを意味するからです。

さてここで問題です。この、憲法制定権力の発動を、憲法によってつくられた権力が否定することはできるでしょうか。

現実の社会では、子が親を殺す、ということは残念ながら起こりえます。しかし、これは論理の世界です。自らの根拠となる権能を否定することは背理というべきではないでしょうか。

「最低投票率を法律で定める」というのはそう単純な話ではない、というのはそういうことなのです。

くどいようですが、制度化された憲法制定権力が発動し、投票した数で多数を占めた、という結果に対して、投票率が低いという事実をもって、憲法によってつくられた権力である国会が、法律でその効力を否定することはできないはずです。

にもかかわらず、改正要件を重くするのだからいいのだ、と主張するとすれば、その人の主観的な価値観に基づいて、法律改正で憲法の内容を変えることもできる、と主張しているのと同じことのように思えます。