総理による日本学術会議委員任命拒否について。


 
日本学術会議が新会員として推薦した候補のうち6名について、菅首相が会員に任命しない、ということが起きています。

加藤官房長官は、「学術会議は法律上、首相の所轄で、人事を通じて一定の監督権を行使することは法律上可能となっている」とコメントしていますが、過去の法令解釈(国会答弁)とも異なるものであり、「学問の自由に対する侵害である」という学者の方々の見解のほうが正しいと思います。

今回の問題は、内容は異なりますが、「あいちトリエンナーレ展」(以下、「あいトリ」と称す)での補助金不交付問題に似た、極めて危険な傾向に思えます。

伝統的な「学問の自由」は、国家が学問の内容に干渉したり、禁止したりしてはならなない、ということを内容しています。菅政権が、特定の学者の学説を弾圧したり、発禁処分にしたということではありません。

政府に不都合な意見をもつ学者を学術会議のメンバーに入れることを拒んだ、と強く推測されることが行われた、ということです。

「あいトリ」の構造ときわめて類似しています。「あいトリ」では、特定の表現物の発表そのものを禁止したり、処罰した、という伝統的な表現の自由に対する弾圧ではなく、「補助金の交付をしない」という手法によって一定の表現によって不利益を被らせたものでした。

さすがに現代で民主国家を標榜している国で、古典的な表現の自由に対する侵害、学問の自由に対する侵害の形態がとられることは難しいでしょうが、よりソフトな形での介入がなされることには警戒が必要です。両者に共通するのは、政府の気に入らない表現をしたら、政府に批判的な学問的見解を述べたら、不利益を受けるかもしれない、という忖度が生まれ、本来保障されるべき表現行為が自己検閲によりなされなくなってしまう、という萎縮的効果を招くことです。このことは、表現の自由、学問の自由にとっての脅威といわなければなりません。

日本学術会議法は1983年に改正されたことがあります。それまで選挙で選ばれていた日本学術会議の会員を「推薦制」とし、推薦された者を首相が任命する現在の方式に変更しました。

この時、「政府からの独立性が失われるのでは」という点が国会で議論になりました。当時の手塚康夫・内閣官房総務審議官は「……実質的に総理大臣の任命で会員の任命を左右するということは考えておりません。


確かに誤解を受けるのは、推薦制という言葉とそれから総理大臣の任命という言葉は結びついているものですから、中身をなかなか御理解できない方は、何か多数推薦されたうちから総理大臣がいい人を選ぶのじゃないか、そういう印象を与えているのじゃないかという感じが最近私もしてまいったのですが、仕組みをよく見ていただけばわかりますように、研連から出していただくのはちょうど二百十名ぴったりを出していただくということにしているわけでございます。


それでそれを私の方に上げてまいりましたら、それを形式的に任命行為を行う。この点は、従来の場合には選挙によっていたために任命というのが必要がなかったのですが、こういう形の場合には形式的にはやむを得ません。そういうことで任命制を置いておりますが、これが実質的なものだというふうには私ども理解しておりません」と答弁しています。


安保法制をめぐる政府見解の変更に象徴されるように、ご都合主義的に解釈を捻じ曲げる点でも安倍政権を継承していることが早くも露呈したということでしょうか。