同性婚を可能にする婚姻平等法案、手話を言語として認め普及を進める手話言語法案 ―― 衆議院議員・山花郁夫はこれまで、世界や日本で起こる同時代的な市民の運動や世の中の情勢に向き合い、さまざまな法案提出に取り組んできた。近年は日本でも貧困問題が取りざたされ、生存権さえも脅かされる事態も起こるなかで、人々の人権はどうやったら守っていけるのか。山花の政治姿勢に迫った。

死刑冤罪事件や公民権運動 ―― 同時代の出来事に感動して歩き始めたキャリア

―― 山花さんは、これまでさまざまな人権問題に一貫して取り組んでこられましたが、いつ頃から「人権」に関心を持ちましたか?

幼稚園のとき、「大きくなったら何になりたいですか」という課題が出されました。それでふと父親の仕事が気になり、母に聞いてみたら「弁護士。逮捕された人を守ってあげるお仕事だよ。逮捕された人にも人権というのがある」と。母も説明に困ったのでしょうが、子ども心にずっと、「逮捕された人を守るってどういうことだろう。なんだかよくわからないけど、気になる」と思っていました。

―― いつ頃から弁護士の仕事や「人権」というものに、はっきりとしたイメージを持つようになりましたか?

高校生のときかな。ちょうど免田事件や財田川事件といった、死刑冤罪事件の再審判決が立て続けに出た時期でした。その財田川事件の弁護士は矢野伊吉さんという、もともと判事の方でした。最初は判事の側だったのに、冤罪の可能性があるなら見て見ぬふりはできないということで、判事をやめて被疑者の弁護についた人なんです。

権力やお金があるかに関係なく、どんな人にも人権がある。でも、それは自動的に保障されているものじゃないから、弁護士が守ろうと戦っている。財田川事件の話を本で読んで、弁護士ってすごいなと思いました。

米国の公民権運動を主導したキング牧師も尊敬していました。当時の日本では、女性や障がいのある方など、たくさんの人が権利を制限されていた。いつか日本も性別や、生まれた地域、障がいの有無ではなくて、その人の人格によってフェアに評価されるような国になってほしい。そのために、自分はなにをすべきで、なにができるんだろうと考えるようになりました。

「人権」は人々が声をあげ、勝ち取ってきたもの ―― 国会議員として実感すること

―― 山花さんは「人権は人々が声を上げ、交渉して勝ち取ってきたもの」だとよくブログなどの文章に書かれていますが、どういった経験から実感しましたか?

一例を挙げると、手話言語法案の立案です。日本では、手話を使えない聴覚障がい者は結構多いんです。中途失聴者はいきなり手話ができないというのもありますが、わたしよりも上の世代では、ろう学校で手話が禁じられていた時代もありました。そんな中、ろうあの人たちや支援団体が、手話メインの人は少ないけれども、なんとかして手話による情報環境を整備したいと一生懸命声をあげ続けて、その声が原動力となって、わたしも関わった手話言語法が立案されました。

―― 2000年代のはじめに、性同一性障害者の特例法(性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律)を制定するときは、どうでしたか?

トランスジェンダーの虎井まさ衛さんという方が、ロビイングをしてくださいました。LGBTの方たちのパレードなど運動はその前からすでにあったのですが、一般に知られるようになったのは、2001年にテレビドラマ「3年B組金八先生」で上戸彩さんが演じたトランスジェンダーの生徒が登場したことが大きかった。そのキャラクターのモデルとなったのが、虎井さんです。

当時は、性同一性障害は病気の一つとされてきましたが、WHO(世界保健機関)のICD-11(国際疾病分類)からも、トランスジェンダーは精神疾患から除外されることになりました。この法律はこれからも、いろいろな方の声を聞いてブラッシュアップをしていきたいです。

マイノリティの人権を保障することは、社会全体の幸せにつながる ―― これからの人権に向けた新しいアプローチ

―― この数十年間で、ジェンダー平等や、マイノリティの人権保障に対する否定、揺り戻しも起きています。

その通りだと思います。障がい者や性的マイノリティの権利を保障するとなると、なんでそっちばっかり優遇するんだとか、コストがかかるなどと言われることもあります。なので、これからは少し変わったアプローチというか、これまでとは違う見方を提案したいなって。

―― というと?

端的に言ってしまえば、マイノリティの人権を保障することは、社会全体の幸せにつながるということです。たとえば、野球のアウトとかセーフとかのジェスチャーは最初、米国メジャーリーガーのウィリアム・ホイ選手が、耳が聞こえず、審判の判定がわからなかったため導入されたんです。ですが、そのジェスチャーがつくことによって、観客もいま何が起こってるのかがよくわかるようになり、野球の楽しみが増えたんですよ。

他にもたとえば、スロープなどバリアフリーの取り組みも、もともとは身体の不自由な方に対する配慮だったんだけど、歩くのがしんどい高齢者や、ベビーカーを押す人たちにとっても移動が楽になった。あるいは、駅のホームドア。これは目が見えない人の転落事故を防ぐために設置されたと言われますが、実は視覚障がい者の転落事故はこの10年間で全体の2〜3%くらい。ホームドアは歩きスマホや飲酒による転落事故も防いでくれているんです。

生きる権利「生存権」を守る国の制度さえも、きわどくなってきている

―― 一方、ここ10年ほどで日本国内でも貧困問題が取り上げられることも多くなりました。生活保護の水際作戦など公的サポートが機能せず、「生存権」さえも脅かされる事態も起こっています。

今年はコロナ禍で貧困に陥る人が増えているのに、親族などに扶養照会をかけられるのを苦にして生活保護を受けない人もいる、と支援団体の方が国会内外で発信をしてくださいました。個人の生きる権利を国や社会がサポートするという基本的な制度でさえも、かなりきわどくなってきている、と危機感を持っています。ここ10年ほど、不正受給を意図的に大きく扱ってきたメディアや政治の責任は大きいです。

―― 今後はどんなことに力を入れますか?

地元の人たちからは最近、「自分が生きているうちに、まさかこんな感染症がくるとは思わなかった」という声を聞きます。人生にはさまざまな「まさか」が起こります。そのときに支える基本的な公的サポートが劣化しないよう、常に政治の側が当事者や支援者からの発信を見逃さないようにしていかねばなりません。

人権は誰かが声をあげて獲得され、戦いながら守られてきたものです。国会議員なんだから、社会で何が起こっているか、なんでもわかってるでしょ、と思われがちなんだけれども、我々が気づいてないことは、本当にたくさんあるんです。だから、どんな小さなことでも良いから、苦しいことには声をあげてほしい。わたしにできること、やらなきゃいけないことは、皆さんが勇気を出してあげてくれた声に耳を傾け、そして立法へとつなげていくこと。これに尽きると思います。

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