権力分立について考える
~検察庁法改正案に関連して~

はじめに

「三権分立」という言葉は小学生の社会科で習います。しかし、憲法の教科書には三権分立という言葉はあまり使われず、「権力分立」という用語が一般的です。どういうことでしょうか。

有名なモンテスキューの「法の精神」に、「すべての国家権力には三種の権力がある」とされていることから、「三権分立」という用語がなじんでいるのかもしれません。しかし、その趣旨は、「3つ」ということにポイントがあるのではなく、権力が特定人に集中しないようにすること(権力濫用の防止)にあります。その意味で、いくつかの「権力」が「分立」していることが重要なのです。

三つの権力とは?

三種の権力とは何で、それをどこが担うでしょうか。おそらく多くの方が簡単に答えられると思います。立法、行政、司法という3つで、それぞれ国会、内閣、裁判所が担うのだと。

わき道にそれますが、立法、行政、司法というのは、権力の「作用」を指します。これに対して、どこが担うか、ということになると、名称は国によってそれぞれです。立法権について、日本では国会ですが、アメリカでは連邦議会、中国では全人代、行政権については日本では内閣ですが、大統領の国もあれば、王制の国もあり、といった具合です。

さて、実はこの「行政権」というのがなかなか曲者です。大雑把に言うと、立法=法律を作こと、司法=具体的事件に法律を適用して裁定することと定義することができますが、「行政」っていったい何でしょうか。実は、学者も頑張って定義しようとしているのですが、なかなか難しいようです。

消極国家から積極国家へ

封建制社会から、市民革命を経て近代国家になった、というのも歴史で学びました。近代国家で権力分立が採用されるわけですが、これは、封建社会へのアンチテーゼという側面があります。

絶対王政により、恣意的な支配、過酷な徴税、人権蹂躙などがあったことから、法の支配や租税法律主義、人権宣言などが採択されたのです。この時代には、できるだけ何もしない政府、市民社会に対して干渉しない政府が望ましいとされ、夜回り程度のことを行っていればそれでよしという考え方がありました。このような考え方を夜警国家観とか、消極国家観といいます。

しかし、20世紀に入り、資本主義の発展とともに、貧富の差が拡大し、国が独占を禁止したり、雇用を創る、社会保障制度を作るなど、これまでなら「市民社会への干渉」と呼ばれたかもしれないような政策が必要となりました。このような国の在り方が望ましいとするものを福祉国家観、積極国家観といいます。

さらに、現代社会では、DV被害やセクハラ・パワハラなどにも国は関心を寄せることになります。行政が担うべき作用は次第に増大し、これを「行政国家化現象」といいます。

消極国家の時には、「行政」の作用も定義しやすかったかもしれません。しかし、現代において「行政」が担う役割は多岐にわたり、すべての作用を一言で表すことは困難になっています。

行政控除説

法学者は、そうはいっても、ということでいろいろと行政について定義することにチャレンジしていますが、成功していないように見受けられます。

一般的には、すべての国家の作用から、立法作用と司法作用を除いた部分の総称であるというように説かれます。これは、行政とは何か、ということについて積極的に定義したというよりも、国の作用のうちの立法と司法以外、というわけですから、消極的な定義ということになります。そして、この定義を行政控除説といいます。

もともとイギリスでは、絶対王政から、民主化の進展とともに司法や立法を奪っていったわけですから、消極的なように見えて実は歴史的な経緯には即しているとも言えます。

改めて権力分立を考える

そうであるとすると、国家の作用のうち、立法や司法以外にも、権力をほかの機関に担わせても、権力の濫用を防ぐという趣旨に反しないどころが、むしろ趣旨にかなうといえましょう。現に、日本国憲法の場合、立法権でも司法権でもない、会計検査という役割を会計検査院という機関に担わせています(90条)。会計検査院の組織及び権限は、法律で定めることになっており(同2項)、法律では会計検査院は、「内閣に対して独立の地位を有する」とされています(会計検査院法1条)。そもそも、日本国憲法では4つ目の権力分立が規定されているのです。

これは、日本国憲法に明文の規定があるケースですが、権力濫用防止の観点からは、中央銀行をはじめ、むしろ、内閣から独立して権限を行使することが望ましい機関というのはあり得るのです。行政が担う役割が増大しているわけですから、それをチェックする機関はほかにも役割分担があっていいわけです。それゆえ、「三権分立」という用語よりも、憲法の教科書には「権力分立」という用語が一般的になっているのです。

検察庁法改正問題に関連して

今回、検察庁法の問題では、メディアでも「三権分立」という言葉がかなり使われ、政府に批判的な見解からは、検察は準司法的な役割を担うから、という意見もありました。内閣が担う「行政権」よりも、司法権に近い存在だ、ということが言いたいのだと思います。

これは、三つの「密」ではありませんが、三つの権力、「三権」にいささか引っ張られている気がします。それゆえ、「いやいや、検察官だって公務員だから」みたいなあたかも反論のように錯覚するような話が出てきて、混乱しているような気がします。

つまり、中央省庁の役人については、定年について特例が設けられ、政権に忖度する人がいたとしても、(良いことかどうかは別として)あくまでも内閣に仕える人ですから、ということでしょう。

しかし、よく言われているように、検察は政治家を逮捕する場合もあるわけです。会計検査院は、むしろ政府の税金の使い道に目を光らせる立場です。その他、政府をチェックすべき機関の人が、政権に忖度する可能性のある定年年齢の特例延長をすることは、「権力分立」の観点からすれば、それはありえないでしょ、という話です。

山花郁夫の最新情報をお届けします